約2年間の軌跡と今考えてること
約2年放置しました。
現在、結論から申し上げると、休職しています。
放置していた理由は、仕事が忙しくなったからというのも一つの理由ではあるが、
・生きることへのモチベーションが低かった。
この1点に尽きるかもしれない。
過去の自分のブログを読み返してびっくりした。
論文書くとか言ってるし。笑
その日受けた指摘もアウトプットしている。
当時は相当意識高かったんだと思うし、実際高かった。
仕事時間外で勉強したりね。
それができたのは、その時間が自分の将来への投資になると思っていたから。
なんとなく、でもしっかりと自分の将来を考えていたから。
そんな新人時代。
そして2年目になってやったこと。
・新人の研修担当
・PG-PT
・法関連
・サーバー設計~運用
・設計
etc...
振り返るとほんとにいろんな経験させてもらっている。
ほとんどがうまくいかなかったけど。。。
特に2年目の最後の2か月、プロジェクトの環境構築と設計を任されたのだが、環境が超特殊、ドキュメントもほとんど残っていないというなかでの構築がしんどかった。
2,3か月かけて何回環境作り直したか。
最終的には超優秀な先輩が2週間で全部作り直した。
また、設計でも問題が。
簡潔に言うと、できないのだ。設計が。
比較的簡単な設計でもダメ出しを食らい、挙句の果てには期限に間に合わないからと先輩がすべて引き取るという事態に。
その後同じようなことを3回ほど繰り返し、メンタルがズタボロ。
このときは自分の努力不足だ、努力したらなんとかなる!と思い込んで、本読んだり、仕事の仕方を工夫するなどして対応しようとしていた。
しかし、一向に良くならない。
なぜ?
効率も悪い。
なぜ?
効率が悪い分、土日に出勤してカバーするしかなかった。
結局、設計が終わると同時にプロジェクトを抜けることになるのだが、最後は2週間休みなく働いた。
こんな自分のために休みの日であるにも関わらず出勤してくれる先輩に涙が出るほど感謝し、申し訳なさも同時に感じていた。
3年目になって2か月が経っていた。
そして6月、新たなプロジェクトへ。
次は客先常駐なので、残業はほとんどなし。
残業三昧だったこれまで比べれば余裕じゃーんと思っていた序盤。
確かに心の余裕を感じていた。
しかし、事態は一変する。
実際に設計作業に入ると、またできないのだ。
前回のプロジェクトで学んだことを生かし、今回は食らいつこうとしていたところ、またできないのだ。
なぜ?なぜ??
もう少し具体的に言うと、ちゃんと設計したつもりが設計ミスばかり、もはや設計になっていないレベルだったのだ。
ここでもやはり期限の問題で最後は先輩が引き取った。
また、今回のプロジェクトの先輩は厳しい先輩だったので、こってり絞られた。
チーム全員が見ているチャットでこれでもかと詰められた。(先輩がすべて正論)
このあたりからだった。違和感が現れたのは。
これまで仕事中に感じたことがない緊張感。
頭がぼーっとする感覚。
仕事中に仕事以外のこと(転職のことやプライベートなこと)を考える。
家に帰れば、次仕事行くまでの時間を計算する。
「8時間後には仕事してるのかー」
休日も、
「あと1日寝たら仕事かー。」
仕事中、20分毎に
「仕事開始から1時間だからこれをあと8回繰り返せば退社時間だ」
ということを延々と考えていた。
そんなわけで仕事に集中できていないのでケアレスミスを繰り返す。
仕事も遅い。
だから、怒られる。
そんな日々を繰り返して、さすがに何かがおかしいと思った。
①単純に仕事が合っていない。
②人間関係が合わない。
③自分に何かが欠落している。(=なんらかの障害?)
①と③には思い当たる節があったので、一番自分のことを知ってて応援してくれるであろう両親、叔父に相談してみた。
結果、
「甘え」、「誰でもあること」、「また逃げるのか」
と言われ笑われる。
この瞬間、一番信頼していた人たちをまったく信頼できなくなった。
もう何も相談しないことを誓った。
ちなみにこのことを打ち明けられる友人はいない。
というより、自分自身がそんな重い相談を友人にはしたくなかった。
最後の逃げ場として、心療内科に向かった。
下された診断
・適応障害
(詳しくはググってみてください)
事前に自分の症状を調べてある程度検討はついていたが、その通りだった。
まずはADHDの症状を緩和する薬を試しながら、様子を見ましょうということだった。
もともと注意不足によるミスの多さが原因で適応障害になっているのであれば、その注意不足が緩和されれば適応障害も改善されるのではないか。
結論から言うと無理だった。
薬を飲んだら多少良くなった(気がした)が、状況は良くならなかった。
薬を強いものに変えてもらっても結果は同じだった。
ある日、仕事に行くために着替えたのだが、そこから一歩も動けなくなってしまった。
20分ほど硬直した後、
「今日体調不良なので休ませてください」
サボった。
仕事に向かわなくていいと悟った身体は急に動き出した。
もう限界だと思った。
主治医と相談して休職という選択をとることにした。
(正式には休職予定)
そんなわけで晴れて休職になったわけだが、その結果の変化を挙げようと思う。
・毎日次の出社までの時間を計算していたが、それがなくなった。(当たり前)
・荒れ放題だった部屋を掃除し始めた。(まだ途中)
・本でも読もうかなという気分になった。(読む本探し中)
ここまでは比較的良い点。
・自由になったと思ったけど、意外に自由より不安が大きい。
自分の場合は転職も考えているからかもしれない。
コロナ禍で企業も採用を控えているなかでの転職。
また、次の業種はかねてからの希望であった教育業界をみている。
しかし、本当に可能なのだろうか。という不安。
また、収入がないので経済的な不安定さからくる不安。
貯金があるので大丈夫ではあるのだが、それでも目減りすることは間違いない。
さらに、こんな自分が将来生きていけるかに対する不安。
先述の通りADHDと付き合っていかなければならないので。
休職期間は何も考えず、好きなことして、何にも縛られずに生きよう。
そう思っていたが、実態はそうでもないみたいだ。
常に不安が付きまとう。
これは自分が適応障害だからなのかもしれない。
これから経過を見ないといけない。
なぜ、このタイミングでブログを急に更新したか。
①当時の自分が何を考えていたかを残せば、過去のブログを遡って自分の原点に戻れる気がしたから。
②休職という人生のターニングポイントについて記録を残したかったから。また、同じように悩んでいる人の参考になると思ったから。
③吐き出し口
④休職は不安がつきまとうので案外いいことだらけでもないということを伝える、残すため。
⑤文章書くの下手なので練習するため。
ということで、今の自分にとってブログを書くことはメリットだらけだと思ったから。
まあそれなりに時間は掛かるのだけど。(現時点で執筆から1時間半)
今の自分には時間がたっぷりあるはずなので。
また何か残したいことがあったら書きます。